痴呆になった父親を看病した女性三十代)から、「父は名のある一流企業の役員だった。
その父がアルツハイマーになり、意識も正常でなくなり、まるで幼児期に返ったような人問になった」という話を聞かされた。
この女性の父親は老衰で八十二歳で死んだという。
最後は病床でうつろな日日を投げているだけで、死のときには身体中にチューブが差しこまれる〝スパゲティ症候群〟といわれる状態だったという。
「父親の尊厳が、家族には一日一日と崩れていきました。
私は、父親の治療などしてほしくなかった。
あのような父親を見たことで、私は尊厳死が必要だと思いました」中学教師をしているこの女性は、兄妹の反対で尊厳死を選べなかったことを悔いていた。
だがこういう見解は尊厳死に疑問をもつ人には格好の標的となっている。
父親の尊厳とは実はあなたの尊厳ではないか、と問われれば、うなずかざるを得ないからだ。
自らの思いにとどまる限り、その批判がついて回るのだ。
日本尊厳死協会の会報には、「老人性痴呆症が宣言書ではふれられていないが、協会としてはどう考えているのか」という問いに、「これこそ世界中の協会が痛感している難問題だと思います。
宣言書の冒頭に『不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて』とあり、痴呆症がこれに該当するか疑問です。
協会としては今後の検討課題ですが、今のところ結論は出しておりません」と回答を掲載している。
老人性痴呆症の患者は、自身では意思表示はできない。
だが精神がしっかりしている時期に意思表示をしておけば、尊厳死の対象となる可能性も起こりうる。
ただし老人性痴呆症は、その原因も定かでなく治療法も明確に定まっていない。
どの段階から老人性痴呆症といわれるのか、という疑問も残っている。
この場合は、「人格的生命」の判断をどこに置くかという問題もでてくる。
日本では尊厳死運動が多様な見方や深い問いかけをもって広がらないのはなぜだろうか。
どこの国でも理念の異なる二つや三つの組織があるというのに、日本では一組織だけである。
そのために論理が一元化している。
尊厳死を主張する論者は、「人格とは何か」「精神活動とは何か」「生命の尊厳とは何か」という設問にしばしば窮する。
かつてO典礼や熱心な安楽死論者だったW・J敏明(法律学者)の論理は、科学性を尊び、個人の自律を強調するあまり、独善的な趣がなかったとはいえない。
それが感情的な反撥も呼んだのである。
独善性は、尊厳死論争にはもっとも危険であった。
Oの書全般に人間を見る目に科学や論理のみが前面にでているのは否定しがたかった。
たとえば、彼は次のようにいう。
「生命の尊厳が、倫理の基本として重くのしかかっているのは時代錯誤である。
近代思想にあっては、教育、政治、法律はもとより、倫埋にも宗教を介入させてはならないのである。
ましてや医の倫理に神をもちこむのは科学の自殺である」「生命の尊重と尊厳とはっきり区別し、あくまでも科学的に解釈されねばならない。
この混同が安楽死をも含めて生と死に関するいっさいの思考の対立と混乱のもとになっているのである。
しかも安楽死反対論者の生命尊重論はほとんどが神秘的な尊厳論であって、科学的な生命尊重論とは異質なのである。
宗教と科学は常に平行線をたどって議論にならない」医学は科学者の手によってベールがはがされている。
今後ともそれはつづくという科学至上主義がまず根底にある。
科学が進むにつれ、科学者は無神論に傾斜していくともOは断定している。
Oの医学的な業績やつねに社会変革をめざしたそのエネルギーは評価に値するとしても、Oの論には、安楽死や尊厳死が感情や宗教や便宜的な論理によって批判されていると一蹴する点に特徴があった。
彼はそのような批判に我慢がならなかったのだ。
だがそのことを強調するあまり、尊厳死を人間の科学的進歩主義と足並みを揃えた歩みというふうに解した。
尊厳死を高度に進んだ医煉技術への自己の権利拡大と捉えた。
Oの論はそれゆえにある剛直さをもっていた。
私は、尊厳死はまず個人の死生観を貫徹するという意味をもつと思う。
他者に強制できず、他者の死生観を弾劾するものでもない。
私はどのようなかたちであれ、尊厳死に関する規定が立法化されたり、法的規制を受けるべきではないと考えている。
アメリカの四十一州では、リビング・ウィルに法的効力を与え、それを行なった医師の免責も立法化している。
この段階にとどまるべきで、それ以上の法的規制(たとえば、オランダの積極的安楽死法やカリフォルニアの安楽死法など)はむしろ尊厳死という個人の死生観が悪用される恐れがある。
先のOの科学至上主義は現在では否定されつつある。
宗教や倫理などは医学(のみならずあらゆる学問)に介入させてはならない、それをふっきらなければならないという史観は否定されている。
Oの一生を貫いた抵抗の哲学は、科学の進歩を信じるという意味をもっていて、宗教は麻薬という旧来の発想をもとにしている。
運動は少数者であればあるほど尖鋭化し、そして独善的になる。
日本の尊厳死運動もそのような時期がつづいたというのが実際の姿であった。
尊厳死に否定的な医学者の書を読むと、こういう独善になじめない体質を説く。
しかし、もっと医学的に尊厳死の危険性を説く医師もいる。
たとえば、神戸大学医療技術短期大学部教授のS・Eである。
S・Eの書には、尊厳死や安楽死を明確に否定する。
「生物学的生命という概念のみにて生かされている人間の尊厳を奪われる恐怖心のみで、尊厳死と称して安楽死を安易に受け入れるならば、人々の生死に対する観念が粗雑となり、いずれは大きなしっぺがえしを人類は受けることになるやも知れぬ」S・Eは尊厳死や安楽死を望む人は、誰にそれを望むのか、と問う。
医師、家族、親友を引きこむつもりなのか、と反論する。
死んだ本人はいい、しかし人の命を絶つことに協力させられた人は心に傷を負うことになる。
そんなことが許されるのか、と迫るのだ。
「命が尺、きるまで戦って戦って人間としての強さを次に戦う我々に示すために最後まで生き続けて死を迎えることである」という姿勢こそが必要なのだという。
人の死はその人だけの死ではない。
家族や周りの人が納得したときが人の死である。
死ぬ人の意思は尊重されるべきではないともいう。
S・Eは医師として慢性疾患によって徐々に死が近づいてくる患者を、家族が納得していく様子を見ながら、積極的治療をとめていくというのだ。
呼吸装置がつながれているときは心臓が動いている限り決してその装置を外さない。
酸素の量なども増減したりはしないという。
さらにS・Eは臨床の場にあって多くの人に接してきて、人間というのはうまくできている、と実感することがあると書く。
痛いが進行したり、老いが進んだりすると、死の苦しみも不安も健康時とちがって判断力も批判力も減退してくるために、周囲で見ているほど強くなくなるという。
安心立命の境地に近づくのがわかるというのだ。
痴呆症によって人格の尊厳が傷つくのを恐れるが、人間は死が近づくと貧富、社会的地位を問わず死の準備のためか脳の活動が鈍くなり惚けるように仕組まれているようだと観察している。
脳の老化と破壊がその人の人格を変えてしまうこともよくあると指摘する。
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